登山情報
杁差岳は、飯豊連峰縦走路の最北端の盟主で、登山の対象としては一級の山岳です。
早春に田植えの農具「杁(えぶり)」を持った人の形の雪形が出現することからこの名前が付いたとされ、農事歴として親しまれてきました。1949年磐梯朝日国立公園に指定され、1949年には国体の山岳競技会場となり、全国の岳人に広く知られるようになりました。
登山道は現在、東俣コースのみとなり、健脚を要します。頂上の大草原には大小の池が点在し、高山植物も豊富です。東俣コースは、本流を渡ってからの水の補給が難しいので十分注意してください。
2021年6月9日 【注意喚起】
西俣~大熊尾根~杁差岳ルートは、2013年より『通行禁止』となっており、
登山道の草刈りも実施されておりません。
遭難リスクが非常に高まっていますので、絶対に入山しないようお願いします。
所在地
〒959-3237 新潟県岩船郡関川村大字金俣
標 高
1,636m
山小屋
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杁差岳避難小屋(山頂付近に位置。50人収容。平成4年改築木造2階建)
登山口までの
公共交通機関
○JR米坂線越後下関駅-(徒歩3分)→ ○新交北貸切バス下関営業所 -(バス金俣行き14分)→
○大石入口-(徒歩50分)→ ○東俣登山ロ(東俣彫刻公園付近林道ゲート)
光兎山(こうさぎさん)
「新潟100名山」の一つ、山名は、山頂西面に兎が飛び跳ねる雪形が現れることに由来するといわれています。貞観3(861)年、天台宗延暦寺座主慈覚大師の開山と伝わる修験の山で、戦前までは女人禁制とされていました。
三角錐型の独立峰で、狭い山頂に立てば360度下界を見晴るかし、日本海に粟島、飯豊・朝日を望む大展望です。
登山道途中のブナ林は、四季それぞれに変化して深山幽谷の雰囲気を醸し出し、初夏の頃には、山頂に続く稜線上にヒメサユリが咲誇ります。
中束(なかまるけ)登山口から山頂までに峰を3つほど越えるため、参考タイムで約3時間30分の健脚向け、登山道途中に往復6分ほどの水場があります。
所在地
〒959-3227 新潟県岩船郡関川村大字中束
標 高
966.3m
登山口までの
公共交通機関
○JR米坂線越後下関駅-(徒歩3分)→ ○新交北貸切バス下関営業所-(バス中束行き25分)→
○中束-(徒歩30分)→ ○中束登山口
朴坂山(ほうざかやま)
「新潟100名山」の一つ、日本に三百数十点しかないとされる「一等三角点本点」のある山として知られています。
周辺の低山には山城の址が多数残っていて、修験道、荘保境界争い、砂鉄採取遺跡、南北朝争乱の伝承等々、中世の歴史が色濃く感じられる地域です。
麓の朴坂集落から1時間半程度で山頂に達することができ、山頂からは、関川村の盆地を貫流する荒川を中心に朳差岳、光兎山を眺望できます。また、荒川の支流・女川の左岸に形成された河岸段丘は多い箇所で5段にも及び、その見事な地形上に近年整備改良された美田の広がりを見下ろすことができます。水場はありません。
所在地
〒959-3201 新潟県岩船郡関川村大字朴坂
標 高
438.2m
登山口までの
公共交通機関
○JP米坂線越後下関駅-(徒歩3分)→ ○新交北貸切バス下関営業所-(バス村上行き11分)→
○JA女川支所-(徒歩10分)→ ○朴坂登山ロ
薬師山(やくしやま)
国土地理院1/25000分地図には「嶽薬師」と表記され、地元では薬師山とも呼びならわされています。山頂は市村境界を少し離れて村上市に位置し、同市小岩内集落からの登山道が知られていますが、当村の桂集落からも登山道があります。
山頂に薬師如来の御堂が建ち、古くから信仰の山として周辺の人々から親しまれてきた山です。
山頂手前から分岐して朴坂山に通じる登山道があり、途中、アコヤ谷の深い鞍部を越えて朴坂山、西山、平林古城の要害山、平林城址へと峰を伝って歩けば、朴坂山塊ミニ縦走を楽しむことができます。
所在地
〒959-3251 新潟県岩船郡関川村大字桂
標 高
386.7m
登山口までの
公共交通機関
○JP米坂線越後下関駅-(徒歩3分)→ ○新交北貸切バス下関営業所-(バス中束行き15分)→
○桂入口-(徒歩3分)→○桂登山ロ
立烏帽子(たてえぼし)
大石集落から南東3km、きり立って見える岩稜の山が立烏帽子です。昔、日照り続きの年に大石の女衆が頂上で雨ごいの踊りをしたと言われています。
頂上を見あげる標高500mの地点にダケカンバの林があり、山小屋「梁山泊」もあります。
所在地
〒959-3236 新潟県岩船郡関川村大石
標 高
約680m
登山口までの
公共交通機関
○JR米坂線越後下関駅-(徒歩3分)→ ○新交北貸切バス下関営業所-(バス金俣行き14分)→
○大石入口-(徒歩30分)→○大石登山ロ(林道ゲート)
山小屋
梁山泊(山頂西側のコース上に位置。30人収容。昭和47年完成
鷹の巣峠(たかのすとうげ)
旧街道「越後米沢街道」には、関川村から米沢まで十三の峠があり、鷹ノ巣峠は越後側からの第1峠になります。「歴史の道100選」にも選ばれています。
下川口集落の外れに「旧米沢街道 峠の入口」という標識があり、そこから300mほど登ると熊坂と呼ばれる標高約150mの頂点があり、切通しが往時の面影を色濃く残しています。
峠を越えた大内渕集落には、旧街道時代、番所が置かれていました。
所在地
〒959-3221 新潟県岩船郡関川村大字下川口
距 離
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2.5km(下川口から大内渕)
榎 峠(えのきとうげ)
十三峠の道の越後側第2の峠で、ここも「歴史の道100選」に選ばれています。
標高187mの峠は大きな切通しとなっていて、江戸時代後期1800年代に十三峠の道を大改修した跡が偲ばれます。また、明治維新時の戊辰戦争では、米沢藩がこの峠に陣地を築き攻め寄せる新政府軍と激戦を展開しました。峠を越えた麓近くに、戦死者を慰霊する石碑が林内にひっそりと建っています。
大内渕集落を過ぎた国道113号線脇に峠道の入口があり、沼集落まで1.5㎞、格好のハイキングコースですが、入口付近は駐車スペースはなく、国道の通過車両も多いので注意が必要です。
所在地
〒959-3225 新潟県岩船郡関川村大字沼
距 離
1.5km
大里峠(おおりとうげ)
十三峠の道の越後側第3の峠で、「歴史の道100選」に入っています。山形県と新潟県の県境にあり、1521年に米沢の領主伊達稙宗によって開削されたと伝わる重要街道です。
標高487mで、宇津峠に次ぐ第2位の高さですが、登り口からの標高差では宇津峠を上回り、街道最大の難所とされていました。そのため、麓の沼集落に宿屋があり、明治11年にはイギリス人の女性探検家イザベラ・バードも泊まっています。また、江戸時代には越後の名僧良寛が大里峠を越え、山形県玉川の玉泉寺で「玉川に泊す」と題して漢詩を読んでいます。
戊辰戦争で榎峠を撤退した米沢軍がこの峠で抗戦体制を敷いた時、当村上関の渡辺利左エ門が講和の仲立ちをして両軍和平に至ったことが記録されています。また、村に伝わる大蛇伝説の舞台としても有名です。
峠道にはそれ以外にも様々な遺跡や伝承の跡が残されています。標高約500m距離約7㎞の山歩き、軽登山の装備が必要です。
所在地
〒959-3200 新潟県岩船郡関川村大字畑
距 離
・関川村側:3.1km
・小国町側:1.0km
鷹の巣遊歩道(たかのすゆうほどう)
所在地
〒959-3261 新潟県岩船郡関川村大字湯沢
距 離
交通アクセス
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JR米坂線「越後下関駅」から車で23分
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日本海東北自動車道「荒川胎内IC」から車で20分